『東京スニーカー史』の著者による,セルフ二番煎じ/セルフ焼き直し/セルフ矮小化にしか思えない。そもそも「AIR MAX 95」に関する記述はごく一部なのに,どうしてこのタイトルになったのか。しかも『東京スニーカー史』は,「AIR MAX 95」ブームに至るまでとその後に関する記述に有機的な繋がりがあったのに,本書はそれすらない。
スニーカーに限らず,人間関係においてもそうだが,欲しい対象が手に届く環境にあり続けるのは嬉しい反面,次第の倦厭の情にかられやすい。
この一文に顕著だが,著者の文体はそれこそスニーカーを脱いで革靴を履いている。もったいない。
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