Dribs and Drabs

書評じゃなくて,ただのメモ

エマ・バーン『悪態の科学:あなたはなぜ口にしてしまうのか』原書房 801.4

訳者は黒木章人さん──『Status and Culture』の人。もうちょっとLivelyな例が載っていると面白かったんだけど,先行研究をうまいことまとめました,みたいな感じになっている。

この本の話をしたら,ロンドンの同僚がこのリンクを送ってきた。Jonathan Pie。こういうのが欲しかった。


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謝辞

はじめに

先ほどわたしは、新しい職場に溶け込む手段のひとつとして罵倒語や汚い言葉を使っていると言いました。仕事場でそうした言葉を活用しているのは、実はわたしだけではありません。それどころか、悪態・罵倒語や汚い言葉は職場でのチームワークづくりに役立っているという研究結果があるのです。

この本の目的はただひとつ、人類史のなかで罵倒語などの汚い言葉がどのように変化してきたのかを確認することにあります。乱用や文化的価値観の変化などによって力が弱まったりなくしてしまったりした言葉と、その穴を埋める役割を果たしているタブー語についても取り上げます。昔は絶対的なタブーとされていた冒瀆の言葉や、人種差別主義者や性差別主義者が使う、現在では口にしてはいけない言葉も取り上げます。現在、世界中で差別的な表現を避ける傾向が──いわゆるポリティカル・コレクトネス、略してポリコレのことです──どんどん強まっています。そうした風潮は嘆かわしいことなのでしょうか。それとも、カビの生えたような差別的な偏見は醜悪で有害で、時代にそぐわないものなのでしょうか。読者のみなさんそれぞれの視点で判断してみてください。

悪態・罵倒語の定義

歴史を振り返ってみると、汚い言葉は罵倒語・神の名の乱用などの冒瀆表現・呪いの言葉の三つに分類することができます。神に呼びかけて願ったり呪いをかけたりすれば、災いを引き起こし、文字どおり世界を変えることができるとされていました。こうした言葉には特別な魔力があると言じられていたのです。

この本を書くにあたって、わたしは何百本もの研究論文を読み漁りましたが、そのなかに繰り返し出てきた悪態・罵倒語の定義がふたつあります。それは── 一.感情をむき出しにした状態のときに使う、二.何らかのタブーに言及する言葉、というものです。罵倒語だと感じる言葉には、必ずこのふたつが当てはまります。

たとえば、人間を動物になぞらえることが顰蹙を買うタブーのひとつとされるドイツでは、人を“まぬけな牛”呼ばわりすると三〇〇から四〇〇ユーロ、“老いぼれ豚”だと二五〇〇ユーロの罰金が科せられます。

“クソッたれ・失せろ”を意味する〈fuck you〉と〈bugger off〉という昔から耳なじみのある罵倒語は今でもよく使われていて、まだ力を失ってはいないみたいです。それでもわたしは、このフレーズもあと一〇〇年もすれば時代おくれの古風な言葉になってしまうと思っています。賭けてもいいです。時代が変わると社会の価値観も変わるように、悪態・罵倒語もその形を変えていくのですから。

時代とともに変わる悪態・罵倒語

言ってみれば悪態・罵倒語は“炭鉱のカナリア”みたいなもので、その時代時代の社会のタブーを示して警告してくれます。“クソッ!・ちくしょう!”を意味する不快な言葉は、一五〇年前なら 〈Jesus Christ!〉、今なら〈fuck〉と〈Shit〉が代表的です。〈fuck〉と〈shit〉は現在のお上品な社会の検閲には通りそうにもありませんが、アガサ・クリスティーやマーク・トウェインといった昔の作家は使っていましたし、わらべ歌にも登場します。

悪態をつく人・悪態をつく理由

正直に告白しますが、わたしは汚い言葉が大好きで、みなさんが引くぐらいたくさん口にします。 わたしがそんな言葉を使うのは、みんなを笑わせるため、友情を固くするため、そして自分を“タフが据わっている”女だと見せかけるためです。さらに言うと、みなさんのほとんどの方と同じように、わたしも痛みを感じたりイライラしたときに汚い言葉を口にしますし、おどけて見せたり、“これ以上何か言ったらぶん殴るわよ”というイエローカードを見せるときにも使います。

ところ変われば罵倒語も変わる

この本を書くにあたって苦労したところのひとつが“共通語のちがい”です。悪態・罵倒語の調査研究の中心地は英語圏の北米・ニュージーランド・オーストラリアですが、それぞれの地域で話されている英語は少々異なるところがあります。ですから、それぞれの地域の汚い言葉の種類も使い方もまったくちがうかもしれないということは、なんとなくわかっていただけると思います。

汚い言葉を擁護してみる

かなりの衝撃度があるにもかかわらず、悪態・罵倒語は驚くほど洗練された言葉です。巧みに使いこなせば、ウィットとユーモアに富んだ言葉にも無礼な言葉にも、そして徹底的に不愉快な言葉にもなります。これこそが悪態・罵倒語が持つ力なのです。そして汚い言葉を使ったり耳にしたりしたとき、わたしたちの脳と体に何とも不思議なことが起こります。罵倒語は痛みへの耐性アップ・ストレス発散・仕事仲間との絆の向上、さらには新しい言語の習得にも役立ちます。

1章 汚い言葉を吐き出す脳──神経科学と罵倒語

わたしたちが脳についていろいろと知ることができたのは、研究者たちが多くの成功と、それより多くの失敗を繰り返してきたおかげです。神経科学の大発見のいくつかは、頭に開いた穴に指を突っ込んでみるとか、ヴィクトリア朝時代の精神病院でずっと調べるとか、そんな程度の技術や調査の結果もたらされました。そうした調査対象のなかには、当然汚い言葉や罵りの言葉も含まれています。

ヴィクトリア朝時代に始まった神経科学

一八〇〇年代後半、“精神病精の治療は精神病院でおこなわれていました。この時代、癲職から鬱病、統合失調症から脳卒中の後遺症に至るまで、とにかくいろんな病気が精神病として一緒くたにされていました。当時のイギリスで、ロンドンの悪名高いベドラム)をはじめとした精神病院に収容されていた患者の数は、一九世紀中頃はわずか一万人でしたが、一八九〇年代になると一〇万人以上に膨れ上がりました。患者たちは監禁され、ときには拘束衣を着せられ手加足枷をつけられ、どんな症状であっても鎮静剤を投与されていました。

右脳と左脳

右脳と左脳については、本当にいろんなことがまるで常識みたいに世間に流布しています。でもそのほとんどはでたらめか、せいぜいよくても単純化され過ぎて何のことだかわからない情報ばかりです。それでも悪態・罵倒語を含めた言語一般との関わりについては、かなり明確にわかっています。

大切な大切な扁桃核

右脳が感情を、左脳が言葉を(つまり理性を)つかさどっているということは広く知れ渡っています。実際のところ、これはよくある民間療法の神経科学版みたいなもので、自己啓発本からマネージメント教育のセミナーに至るまで、あちこちで引用されています。しかし先ほど解説したように、感情の処理も理性の処理も、どちらも右脳と左脳は協力して取り組んでいるのです。さらに言えば、感情と理性に関わっているのは右脳と左脳だけではありません。汚い言葉を発しようとする感情の喚起にも制御にも、独自の役割を果たす右脳左脳以外の別の部位が関わっているのです。

こうした脳外科手術から、扁桃核を切除すると感情全般、とくに攻撃性のある感情の反応が小さくなることが判明しています。つまり、扁桃核は汚い言葉を無駄に吐くのを抑える役目を負っているのではないか。いわば感情の交通整理をする信号機みたいな役割を果たして、怒りと恐怖をいつ、どうやって表現するべきなのか示してくれる器官なのではないか。そう考えられるようになりました。あと先考えずにとにかく怒りをぶちまけたくなったとき、扁桃核は好きなだけ罵ればいい、汚い言葉を浴びせればいいというシグナルを発してくれます。同時に、そんなことをしたらヤバいことになるかもしれないという告も発してくれます。扁桃核はとても小さくて原始的なわりには、複雑な処理もそれなりにこなすことができる部位なのです。

罵倒語は共同作業で生まれる

悪態・罵倒語は右脳と左脳にある高い機能を持つ部位が主役となって生み出されますが、太古の昔から存在する、最も原始的な部位も力を貸しています。そのことは、実際にはどのような意味があるのでしょうか? 悪態・罵倒語が単純で本能に近いものだとしたら、比較的新しい時期に発達した、高度な機能をつかさどる脳領域がそんなに関わっているとは思えません。その一方で、悪態・罵倒語が感情とそれほど強く結びついていないものだとしたら、古い部位の扁桃核が重要な役割を果たしているとは思えません。それに、自分以外の人間の感情を想像する力を失ってしまったら悪態・罵倒語も失われてしまうという事実を見るかぎり、高度な社会性を持ち合わせていなければ汚い言葉を吐くことはできないと思われます。 つまり悪態・罵倒語は原始的で高度なものなのです。

2章 クソッ痛いじゃないか! 痛みと罵倒語

『悪癖の科学──その隠れた効用をめぐる実験』(藤井留美訳、二〇一六年、紀伊国屋書店刊)の著者である心理学者のリチャード・スティーヴンズ博士の悪態・罵倒語の研究に対する熱意はただならぬものがあります。スタッフォードシャー州のキール大学で教鞭をとるスティーヴンズ博士は、痛みと感情、そして悪態・罵倒語の三角関係の解明の手掛かりになる実験を毎年学生たちと一緒におこなっていますが、その実験が年を追うごとにどんどん面白くなっていっているのです。

この実験の結果をひと言で表現するとこうなります。“痛みに効かないだなんて、一体誰が言ったのよ!”―――勇猛果敢な学生たちが氷水に手を突っ込んでいられた時間は、罵倒語を言いながらのほうが机についての形容詞を言いながらの場合の一・五倍近くも長かったのです。わかったことはそれだけではありません。罵倒語を発しているあいだ、学生たちの心拍数は上昇し、痛みの知覚度は下がりました。つまり学生たちは、罵倒語を発しているあいだは痛みをあまり感じなかったのです。

罵倒語が脳に与える影響

スティーヴンズ博士たちの氷水に手を浸す実験の一番注目すべき点は、汚い言葉や罵倒語を吐くと痛みが軽くなることでも、痛みをしのぎやすくなるということでもありません。わたしたちの体のどこかに変化が生じたことです。先ほど述べたとおり、スティーヴンズ博士の実験では罵倒語を発しているあいだに心拍数の上昇が見られました。テーブルを表現する言葉を発した場合はそうでもありませんでした。心拍数が上昇しているということは、感情が関わっていることを如実に示しています。

ルディ博士が達した結論は感情的な反応を研究するときの注意点を如実に示しています。感情は、単独ではなく束になって襲ってくるのです。感情を”ひとつだけ”引き起こすことはできません。集団で湧いてくる感情をひとつひとつに分離することができないのなら、罵倒語がどんな感情を引き起こすのか調べようがないのではないでしょうか? こんなとき、心理学では感情を引き起こすような刺激を〈感情価〉と〈覚醒度〉の二本の軸に分けて考えます。感情価はその感情の快不快の度合いを示します。〈幸せ〉は感情価が高く、〈惨め〉は低くなります。覚醒度はその感情の高低を示します。快不侠は関係ありません。〈興奮〉と〈激怒〉は高く、〈退屈〉と〈満足〉は低くなります。

どんな罵倒語でも鎮痛剤になる?

罵倒語と本人視点のシューティングゲームは鎮痛剤的な効果を見せたというスティーヴンズ博士の研究結果は吉報と言っていいでしょう。怒りをベースにして人間を分類すると、怒りを多く見せる人間(怒りの外向性)と、怒りをおもてに出さない人間(怒りの内向性)に分けることができます。

社会的苦痛と罵倒語

身体的苦痛と感情の関係は複雑きわまります。そこまで複雑なものにしているのは、わたしたちが全員経験している社会的苦痛)と呼ばれるものの存在です。社会的苦痛とは、差別されたりのけ者にされたりしたときに感じる痛みで、身体的苦痛と同じように本当に痛みを感じます。鎮痛剤のパラセタモールとマリファナは、身体的と社会的の両方の苦痛に対する効果がまったく同じだということが実験で判明しています。このことには進化論的な意味があります。人間はその歴史を通じて、喪失感と疎外感は虫垂炎や脚の骨折と同じぐらい命取りになりかねないことを、身をもって経験してきました。

社会的苦痛は身体的苦痛とまったく同じなのだとしたら、罵倒語は社会的苦痛も和らげてくれるはず。当然そう考えてもいいと思います。そしてオーストラリアのブリスベンにあるクイーンズランド大学のローラ・ローバードとマイケル・フィリップの両博士がまさしくそのことを証明してくれました。ふたりは被験者たちに、グループから仲間はずれにされたり仲間として受け入れられた経験を思い出してもらいました。すると、仲間はずれにされた記憶を呼び起こしたあとに罵倒語を発すると、その記憶が引き起こす痛みが軽くなりました。しかし気をつけなければならないのは、罵倒語や汚い言葉を吐いていると仲間はずれになる恐れが大きくまるところです。とくに女性の場合は……

罵倒語と病気

国によっては、病気が大きな社会的タブーになっていることがあります。たとえばオランダでは“癌”という名前そのものが罵倒語になっています。そして癌のような影悪いに苦しんでいる人たちは罵倒語を発しやすいということは当然だと言えるでしょう。

汚い言葉や罵りの言葉は聞くに堪えない不快なものだということはまちがいありません。そうした言葉には感情に強く訴えかける力があることを、ここまでずっと検証してきたのですから。罵倒語と痛みの関係も解き明かしてきました。癌で片方の睾丸を失ってしまったカルの経験から、痛みと病気がもたらすいまいましいことに対処しなければならないときに、罵倒語は重要な役割を果たすこともわかりました。

3章 トゥレット症候群

汚い言葉や罵倒語についての本を書いていると言うと、ほとんどの人が〈トウレット症候群〉のことを訊いてきます。そしてそのほとんどの人がわたしの説明にがっかりします──トゥレット症候群のなかには日常の会話で汚い言葉を頻繁に発する〈汚言症〉がありますが、実際にはこの疾病に苦しんでいる人の七五パーセントは、汚い言葉を発したいという衝動に駆られることはないのです。それからこんなことを教えると、みんなさらにがっかりするのですが、残りの二五パーセントの人たちにしても、トウレット症候群が原因で汚い言葉を発しているとは言い切れないのです。

トゥレット症候群の患者が苦しめられているさまざまな衝動についての研究論文は山ほどあります。それでも、汚言症のような患者を消耗させる自己制御の難しい衝動強迫を発症させてしまう理由については、まったくと言っていいほど解明されていません。同じ衝動でも、図書館で”このクソ野郎!”と怒鳴り散らしたくなる衝動と、まばたきやジェスチャーを繰り返したいという衝動はとんでもないほどかけ離れているように思えますが、根っこにある原因はどちらも同じなのかもしれません。かつてトゥレット症候群は精神性疾患だと考えられていましたが、今では少なくとも初期段階は運動性疾患により近いものだということがわかっています。患者が悩まされているチックは、望んでもいないのについやってしまう、意のままにならない動作の抑制ができないからこそ発生するのでしょう。汚い言葉を口で言ったり手話で言ったりジェスチャーで示したりするような複雑なチックも含めて、あらゆるチックの原因はそこにあるのかもしれません。

抗精神病薬がトウレット症候群の症状緩和に効果があることは一九五〇年代からわかっていました。だったら患者たち全員に投薬療法をすればいいと思われるかもしれませんが、そういうわけにはいかないのです。一九五〇年代から六〇年代にかけて抗精神病薬の投薬療法がおこなわれた結果、トゥレット症候群は心の欄ではなくむしろ体の病だということが初めてわかったのですから。

4章 仕事の場での罵倒語

仕事の場で汚い言葉や罵倒語を使うことについては意見が分かれます。イギリスのセレブシェフのゴードン・ラムゼイは、テレビでは毒舌や罵倒語を吐くキャラを演じていました。タブロイド紙〈デイリー・メール〉のポール・ディカー編集長はあるひとつの汚い言葉をしょっちゅう使うので、編集長によるブリーフィングは編集部内で,“女性器の独白(ヴァギナ・モノローグス)”と呼ばれています。その一方で、アメリカの企業や組織はキリスト教に基づいた厳格な道徳観に支配されています。多くのアメリカ企業は、不良品よりも汚い言葉のほうが顧客や消費者からのクレームを招くものとして恐れ、そうした言葉の使用を禁じています。しかしほかの国々、とくにオーストラリアとニュージーランドでの研究では、汚い言葉や罵倒語を言い合う職場は離職率が低いという結果が/少なくとも何件かは──出ているのです。

”からかい”の学術的研究

職場で使われるからかいの言葉や冗談には、ほぼ例外なく汚い言葉や罵倒語が交じっています。 新入りにはかなり棘のある言葉に聞こえることでしょう。しかしそうした言葉は仲間意識を育み、そして高い仲間意識は生産性の高い労働力を生み出します。オークランド大学経済・経営学部のバーバラ・プレスター博士は、二〇〇七年の論文『Taking the Piss: Functions of Banter in the IT Industry (IT産業界におけるからかいの言葉の効用)』でこう述べています。「からかいの言葉や冗談は、陽気なときにふと口を衝いて出てくるものだ。そして人間がその創造的能力を最大限発揮するのは陽気になっているときである」

プレスター博士の調査チームは、重要なのは人間関係だという結論に至りました。 「からかいの言葉がきわめて有効なコミュニケーションツールとなるのは、人間関係が良好で、からかいの言葉を言われたときの切り抜け方がわかっていて、越えてはならない一線がどこにあるのかしっかりと把握している場合に限られます。からかいの言葉は人種であるとかジェンダーであるとか、そういったものを前提としているものではありません。要は、どれだけ互いのことを知っているかなのです」

汚い言葉への反撃

ここまでの話を、著述家でモチベーショナルスピーカー(聴取のやる気を喚起させたり鼓舞する公演をおこなう専門家)のジェイムズ・V・オコナー氏はお気に召さないでしょう。なにしろオコナー氏は汚い言葉および罵倒語に毒されたアメリカの労働環境の浄化”という錦の顔を掲げ、一九九八年にイリノイ州ノースブルックで〈罵倒語制御(カース・コントロール)アカデミー〉を設立して、孤軍奮闘頑張っているのですから。

汚い言葉や罵倒語と戦う理由は、結局のところはそこにあるのでしょうか? 今よりもシンプルで、より幸せだった古き良き時代へのノスタルジアにあるのでしょうか?男性は男性らしく、そんな男性に女性は感謝し、そしてマイノリティの人たちは分をわきまえていた時代が理想だと言うのでしょうか? その点についてはいろいろと問い質したいのですが、自分の念を折り目正しく語るオコナー氏に、わたしはどうしても気おくれしてしまいます。

罵倒語に関するアプリシエイティブ・インクワイアリー

ジャネット・ホームズ教授は、人間同士のコミュニケーションの解明に情熱を捧げる、物腰柔らかなニュージーランド人です。労働環境での意思疎通の研究に着手したホームズ教授は、仕事場では”どのように話すべきなのか”ではなく”どうやって話せばいいのか”という点に主眼を置きました。教授の研究チームは工場やオフィスを訪ね歩き、冗談や世間話、そして汚い言葉や罵倒語が職場で果たす役割を調べました。「わたしたちのチームは〈アプリシェイティブ・インクワイアリー〉という、”個人や組織の持つ強み”や“大切にする価値”を解明するというアプローチを用いました。

”からかい”の重要性

社会人類学者のケイト・フォックスは、イギリス社会を面白おかしくも辛辣に観察した『イングリッシュネス──英国人のふるまいのルール』(北條文緒、香川由紀子訳、二〇一七年みすず普房刊)でこう述べています。 「どこの国でも、自分のことを目一杯アピールすることは善しとはされないだろうが、そうしたからといって罰せられるわけではない。ビジネスの場でなら、偉そうにふんぞり返っていたり、周囲が引くほど大真面目になっても、少しぐらいなら大目に見てもらえるし、むしろそうすることが望ましい場合もある。しかしイギリスのビジネスシーンでは、やる気満々の頑張り屋であるとか上から目線で大きなことを言う気取り屋は、容赦なく馬鹿にされる。面と向かって笑われなくても、陰では確実に笑いものにされてしまうだろう」

言いたいことをズバリ伝える―――罵倒語のレトリック

汚い言葉や罵倒語を交えたジョークを互いに言い合うと職場の結束に役立つのかもしれません。 しかし、そうしたジョークは本当に仕事に役立つのでしょうか?それを確かめるべく、ノーザンイリノイ大学のコーリー・シェーラー博士とブラッド・サガリン博士は論文『Indecent Influence(下品な言葉の効用)』で、穏当な汚い言葉や罵倒語を使った場合、そのメッセージがどのように伝わるのか調査しました。

汚い言葉や罵倒語に対して、わたしたちはどうしても感情的に反応してしまいます。のちの章で説明しますが、わたしたちの脳はそうなるようにつくられているので、感情的に反応することはどうしても避けられないのです。しかし、汚い言葉や罵倒語は大抵の場合“暗号化されたメッセージ”なのです。それがたんなるジョークなのか、それとも越えてはいけない一線を越えているという瞥告なのかは、解読しないとわかりません。次の章で検証しますが、この暗号化は、わたしたち人間が言葉を発明した太古の昔からやっていたことなのかもしれません。

5章 この汚いサル野郎! 悪態をつく(人間以外の)霊長類

わたしたち人間は、一体いつから汚い言葉や罵倒語を使うようになったのでしょうか?最初からボキャブラリーのなかにあったのでしょうか?それとも、人間の言語能力にあとから付け加えられた、いわば”拡張パック”みたいなものなのでしょうか?

たしかに汚い言葉や罵倒語の進化の過程を直接確認することはできません。だったら、わたしたち人間と同じような構造の脳を持っていて、社会集団を形成していて、なおかつ言葉を使い始めたばかりの存在を観察すればいいのではないでしょうか? ありがたいことに、そんな存在は一例だけ存在します。長年にわたって手話を教えられてきたチンパンジーたちです。

プロジェクト・ニム

手話を覚えたチンパンジーとして真っ先に名前が挙げられるのは〈ニム・チンプスキー〉でしょう。その半生を記録した二〇一一年公開のドキュメンタリー映画と、彼を研究したコロンビア大学の心理学者ハーバート・テラス教授によって大々的に宣伝されたおかげで、ニムの存在は広く知られるようになりました。〈プロジェクト・ニム〉と呼ばれるこの実験は、可能なかぎり厳密に、客観的に、そして慎重に遂行されました。しかしそのせいで失敗に終わったとも言えます。

〈プロジェクト・ニム〉は人間たちにとってもニムにとっても悲劇でした。ニムはあくまで実験動物であって、社会の一員でもなければ家族の一員でもありませんでした。野生のチンパンジーを捕まえて言葉を覚えさせようとするのであれば、採取したデータは少なくとも反論の余地のないものであるべきだとするテラス教授の研究意図は、当然のことながら合理的で正しいものでした。しかしニムはチンパンジーとしての自分自身”になることはできませんでした。そしてニムはどんな能力を秘めていたのかもまったくわかりませんでした。

人間との生活―――プロジェクト・ワショー

〈プロジェクト・ニム〉のような研究室での実験は厳密で正確な結果が出るのかもしれませんが、それでも限界があります。自意識のある動物を簡素で殺風景な環境に押し込めておくことの倫理上の問題はさておき、刺数と反応という行動主義の観点では絶対に答えが出ない、誰もが抱いている一番興味深い謎があるのですから―――チンパンジーは人間に似ているのか? チンパンジーは言葉のやり取りができるのか? チンパンジーは何を考えているのか? チンパンジーは人間と同じようなことができるのか? こうした疑問の答えを見つけたいのであれば、やはり可能なかぎり人間と同じように育てなければなりません。

チンパンジーに手話を教える理由

どうしてチンパンジーは言葉を身につけることができるのでしょうか?簡単に言うと、わたしたち人間とチンパンジーはそっくりだからです。とくに学習能力についてはかなり近いものがあります。

人間の世界では“きたないはダメ(タブー)”

ワショーが汚い言葉や罵倒語を身につけるようになったのは、トイレトレーニングを受けたからだとわたしは考えています。このわたしの推論に敢えて反論しようとする人なんかいないでしょう。 だって、トイレのしつけをしないままチンパンジーと長く暮らして手話を覚えさせていると、興味だけじゃなくて悪臭にも満ちた暮らしになるはずですよね?野生のチンパンジーたちは、人間の研究者たちが近づいてくると容赦なく尿をひっかけたり糞を垂らしたり投げつけたりします。そうやって、ここは自分たちの縄張りだと威嚇するのです。そのことをわかっていたガードナー夫妻は安全策を取りました。ワショーを自分たちの家で育てるのであれば、排泄には──少なくとも人間の家族と一緒にいるときは──しかるべきタイミングと場所があることを教えなければならないと考えたのです。

“きたない”は恥と結びついた言葉なので、自分の気に入らないことをする人間や動物を毎辱する言葉にあっという間になってしまったのでしょう。チンパンジーたちは、そう教わったわけではありません。自発的に”きたない”を悪口として使ったり、イライラしたときの不満の声として使ったりするようになったのです。

事実、〈サル〉という手話は手話ができない別の霊長類を見下す言葉になりました。ちょっと嫌な話ですが、侮辱や中傷の言葉も、わたしたちの胸の奥底に刻み込まれているような気がします。

子供の教育──チンパンジーは言語を伝えることができるのか?

何年かすると、ファウツ博士はワショーを連れてガードナー夫妻の研究室から去り、オクラホマ大学で自分の研究室を構えました。ワショーが強い母性を見せるようになったので、博士はさまざまな霊長類研究施設と連絡を取り、チンパンジーの里親を探していないかどうか問い合わせました。 そして博士は生後一〇カ月の〈ルーリス〉をワショーの養子として迎えました。最初こそぎこちないものでしたが、しばらくすると二匹は母親と子供の関係を築きました。

チンパンジーたちとだけ手話でやり取りしているうちに、ルーリスは”ほん””きたない””だいて””おねがい””ごめんなさい”といった五一の言葉を身につけました。

チンパンジーが毒づいて何が悪い?

ワショーのようなチンパンジーはしそれとファウツ博士とガードナー博士たちも──動物界にいるわたしたちの親戚たちについて本当に多くのことを教えてくれました。〈プロジェクト・ワショー〉は半世紀近くにわたってチンパンジーたちを人間と同じように育て、共に暮らし、その行動を観察した、壮大な研究プロジェクトでした。そして、サピエンス以前の人間の祖先のイメージを、かつてないほど鮮明に示してくれました。

チンパンジーであれ人間であれ、汚い言葉や罵倒語を使うためには他者の心を理解する力が必要です。自分が発した言葉が他者をどんな気持ちにするのか察知できる、論理的思考ができなければなりません。さまざまな感情も必要です。心にダイレクトに訴えかける感情がなければ、汚い言葉や罵倒語は意味を持ちません。さらに言うと、タブーのような社会的概念を理解できるだけの複雑な精神構造も必要です。まわりの人間たちはあるものを嫌悪し、またあるものを善しとするということを、ぼんやりとでもいいからわかっていないと、わたしたちは恥やタブーのことを絶対に理解できないでしょうし、汚い言葉や罵倒語を生み出せるはずがありません。 汚い言葉や罵倒語を使っていた祖先に、わたしたちは感謝すべきなのかもしれません。暴力衝動の安全弁としても絆を深めるツールとしても、汚い言葉や罵倒語に並ぶものはないのですから。最初に団結して狩りをした原人たちは、原初の言葉と軌を一にして発達させた汚い言葉や罵倒語がなかったら、種として繁栄することはなかったでしょう。

現代医学は、これまでネズミやウサギ、そしてサルや類人猿を対象にした、数え切れないほどの動物実験で成り立ってきました。しかしここに来てようやく、チンパンジーに人間と同じ知性があることがわかったのです。わたしは心の底からほっとしています。そしてチンパンジーに知性があることを如実に示すものこそ、彼らなりに考え出した汚い言葉や罵倒語なのです。

6章 女には向かない言葉──ジェンダーと罵倒語

圧倒的に男性優位の分野で働く女性であるわたしが身につけた便利な能力のひとつが、汚い言葉や罵倒語を臆することなく吐くことができる力です。男の仲間入りをしたいのなら、サッカーのオフサイドのルールを理解するよりも男みたいに乱暴な口をきく方が手っ取り早いし確実です。

どうしてわたしの言うことを聞いてくれないの? 女性の遠まわしな言い方

どこから湧いてきたのか知りませんが、このくだらない話は世の中にはびこっています。わたしたちは成長するにつれて常識的な礼儀正しさを習得していきます。そして礼儀正しいとされる言動は、社会集団と世代、そしてジェンダーで異なります。どれほどの礼儀正しさが求められるのか判断する基準のひとつに、相手とどれほど率直に言い合える関係なのか見きわめることが挙げられます。

日本特有の遠まわしな言い方に、わたしは心の底から居心地のよさを感じていました。そしてこの国で働いているあいだに、ようやく男性の同僚たちと同格になったような気分で会話できるようになったのです。でも残念なことに、これから日本語の学習に本腰を入れようとした頃にイギリスに戻ることになりました。日本での暮らしが本当に居心地のいいものだったのは遠まわしな言い方のおかげだということに気づいたのは、実際には帰国してからのことです。

どうしてわたしたち女性は、汚い言葉と罵倒語を使ってはいけないことになっているのでしょうか?そして女性がそんな言葉を使わないのだとしたら、どうして使わないのでしょう?

女は絶対に“クソッたれ”とは言わないもの

これまで多くの研究者たちが、女性は男性ほどには汚い言葉や罵倒語は使わないという推論に立って、その理由を説明しようとしてきました。二〇世紀に入っても、言語学者たちは自信に満ちた口調でこう主張していました──女性は婉曲や言い換えなどの表現を駆使して当たり障りのない言薬やフレーズを数多くつくり、男性は粗野な言葉を使いたがる。 一番説得力のある理由をひと言で表現すると、“性行動についての男女のダブルスタンダード”になります。

二ー世紀に生きる一八世紀的な考え

二一世紀になってもなお、男性と同じように汚い言葉や罵倒語を使うという女性の“新たな”傾向を非難する有識者はいます。〈女性汚い言葉〉でグーグル検索すると、そうした言葉を使う女性たちに不快感を抱いている男性たちの(女性もいます)記事やコメントがごまんと出てきます。

男性が近くにいないと、女子学生たちは心置きなく汚い言葉や罵倒語を吐き出しました。"女性は汚い言葉や罵倒語を使うものですか?”という質問は、誰が訊くかによって答えは変わってくるみたいです。過去の研究では女性たちは男性研究者のまえではそうした言葉を言いたくなかったというところまでは、リッシュ博士は証明できませんでした。それでも、女性がそうした言葉を使うという事実は手際よく無視されてきた可能性があることは示してくれました。そして”どうして女性は汚い言葉や罵倒語を使わないのか”という問いかけに意味はないということも証明してくれました。

どのみち女性たちは汚い言葉や罵倒語を使う

男性研究者のまえでは無理でも、女性研究者のまえなら汚い言葉や罵倒語を言えるのは、何もアメリカの女子学生たちだけにかぎった話ではありません。リッシュ博士から少しだけ遅れて、南アフリカでもまったく同じ結果が出たのです。

女性が汚い言葉と罵倒語の封印を解いたのは、一九七〇年代のウーマンリブ運動のあと押しがあったからです。

積極的に、むしろ誇らしげに汚い言葉や罵倒語を使おうとする動きは、二一世紀に入るとイギリス全体に広がっていきました。

女性が汚い言葉や罵倒語を使う理由

オランダの言語学者のエリック・ラッシンとペーター・ムーリスは『Why Do Women Swear?(女性が汚い言葉を使う理由)』と題した論文のなかで、女子学生たちが使っていた汚い言葉や罵倒語をリストアップしています。使用頻度が高い順に並べると、〈shit〉〈kut(おマンコ・最悪!)〉〈Godverdomme(ちくしょう!)〉〈klote(キンタマ・バカバカしい)〉〈Jezuz(Jesusの意味でクソッ!)〉〈tering (結核・ちくしょう!)〉〈kanker (癌・クソッ!)〉〈lul(ちんぽこ・ゲス野郎)〉〈tyfus(腸チフス・くたばれ)〉〈bitch〉です。

大多数の研究では、汚い言葉や罵倒語は大抵の場合ポジティブで前向きに使われるとしています。 ところがこのオランダでの調査では、女性たちはネガティブな感情を伝えたいときに使うことが一番多く、次いで誰かを馬鹿にしたいとき、ポジティブな感情を伝えたいときはその次になります。 自分のことをかなり強気だと思っている女性ほど汚い言葉や罵倒語を多く使うことがわかっていますが、それぞれの生活の満足度で使う頻度が変わるという結果は出ていません。

「汚い言葉や罵倒語を使うことがノルマみたいに課せられている環境だと、女性だってそうした言葉を使うようになります。そうしないと男性たちと対等に渡り合えないからだというのも理由のひとつですが」ステープルトン博士はそう語ります。「でも聞き取り調査をした女性たちは、軽い冗談で場を和ませたり絆を深めたりするために使うことが多いと言っていました。実際、女性はそうしたタイプの汚い言葉や罵倒語をよく使ってるんです」それはつまり、攻撃的に、強気に出るためというよりも、むしろ周囲に気を配るという手段のひとつとして使っているということなのかもしれません。

女は〈淫売(bitch)〉で男は〈ゲス野郎(cunt)〉

女性も男性と同じように汚い言葉や罵倒語を使っていますが、使い方はちがいます。ちがいが頭著なのは使う言葉です。

どうしてわたしたちは、セックスばかりしている女性を責め、逆にセックスをほとんどしないー少なくとも女性とはほとんどしないー男性のことをこき下ろすのでしょうか?バーガー博士は、そうした悪口は攻撃される側の”名誉と信用”に疑いを持たせるから効果的なのだと言っています。きつい悪口が男性と女性でちがうのは、例の性についてのダブルスタンダードが反映されているからです。男性の評価基準は性的能力にあって、女性は今でも"慎ましい女”であることが求められているのです。””男は力強く、女は純真無垢”がまた出てきました。

汚い言葉や罵倒語を使う女性を否定的に見てしまうのは、不合理で時代遅れな価値観のせいです。 それでも、そうした風潮はようやく変わりつつあります。男はつねに強くあるべしだとか、女はつねに純粋無垢であるべしだとか、話し方や使う言葉で異性の見る目は大きく変わるだとか、いまだに根強い理不尽な主張に、わたしたちは異議を唱え続けなければなりません。

7章 さまざまな言語の汚い言葉や罵倒語

わたしたちは、汚い言葉や罵倒語はほかの言葉とはどこかちがうということを子供の頃に身をもって学びます。覚えたばかりの言葉を言ってみたら大人たちが困った顔をしたとか、ちょっと変なことを口にしたら怒られたとか、そうした経験を経て普通とはちがう言葉があることを比較的早い段階で理解します。子供というものは、自分の発した言葉がまわりの人々のものすごい反応を引き起こすと大興奮します。そしてまわりの人々の反応を見てタブーを理解したり、汚い言葉や罵倒語をもう口にしないと心に決めたり、そうした当たりの強い言葉に大喜びして、やたらと使ったりします。 わたしたちは幼年期に言葉の構造と意味を学びますが、同時に言葉の使い方についての社会的なルールも身につけます。文法のルールも、誰から教わらなくても自然に習得します。どんな言葉や振る舞いが無作法とされるのかを体験的に学ぶのもこの時期です。だとしたら、幼年期を過ぎて母国語以外の言葉を学ぶとき、その言葉の汚い言葉や罵倒語の社会的な意味合いをしっかりと理解することはできるでしょうか?

〈継母語〉と言葉の強さ

ロンドン大学バークベック・カレッジのジャン-マルク・デウオエル教授は、汚い言葉が感情に与える影響を、さまざまな言語にわたって幅広く研究しています。多くの言語を多彩に操るマルチリンガルのデウオエル教授は、自身の四番目の言語のスペイン語の、覚えたばかりの罵りの言葉を使ったときのことを語ってくれました。 「“郷に入っては郷に従え”という諺は、汚い言葉や罵倒語には必ずしも当てはまりません。そのことを、私はスペインのタブー語を使ったときに身をもって学びました……サラマンカのとあるバルで、小皿料理と赤ワインを愉しんでいたときのことです。その夜、店内では〈joder!(fuck の意味でクソッ!)〉という叫び声が何度か響いていました。なのでいいかなって思って、わたしも言ってみたんですよ。すると店にいた人全員が、ぎょっとして黙り込んでしまったんです」この経験がきっかけになって、デウォエル教授はマルチリンガルの人たちが使う汚い言葉や罵倒語と、そこに込められる気持ちや感情について興味を抱くようになりました。

青年期もしくは成人後に外国語を学ぶと、その言語では感情の表現方法を変えることになります。 幼い頃に身につけた言語は感情と強く結びついていますが、年齢を重ねてから学んだ言語はどこかよそよそしく、感情に訴えかける力もあまりないことが多いのです。

幼年期を過ぎてからでも、言語を覚えて流暢に話せるようになります。しかし思春期を過ぎてから身につけた言語は──これを言語学者のスティーヴン・ケルマンは〈継母語〉と名付けました──幼年期に覚えた言語と同じように流暢に話せても、同じように感情の力を受け止めることはできないのです。さらに言うと、その言語に結びつけることができる感情が決まるのは、言語を集中的に習得する発達段階なのかもしれません。

汚い言葉や罵倒語は世界共通?

デウォエル教授の研究を見るかぎり、(マルチリンガルではない)わたしたちの大部分は汚い言葉や罵倒語を使うときには母国語を使いたがる傾向にあるようです。母語で言ったほうがよく効くからというだけでなく(それに、どうせ外国人だからわからないだろうとたかをくくっているだけでなく)母国語で言ったほうが一番すっきりと感情を吐き出せるからです。「汚い言葉や罵倒語は、いわば言葉の核爆弾です。その威力がどれほどのものなのかわからないときは、みんな使用を控えるみたいですね」教授はそう説明します。

同じような意味の言葉でも、言語によって感情を表現する力の差があることもあります。クエンティン・タランティーノの映画『パルプ・フィクション』では、英語ではかなり使い勝手のいい〈fuck (クソッ!・クソッたれ)〉がやたらと連発されますが、そのスペイン語版では実にさまざまな汚い言葉や罵倒語が〈fuck〉に当てられています。その反対に、スペイン語の〈cariño〉は〈優しい〉〈愛情〉を意味しますが、それ以外にも〈ダーリン・ハニー〉などの意味もあって、そうした複数の意味をひっくるめて置き換えることのできる単語は英語にはありません。

喜び・不快感・怒り・恐怖などの強い感情は、どんな言語環境にあっても万人が共有するものです。それはつまり、どの言語にも強い感情を表現する言葉があるということです。同様に、どの文化にもタブーがあり、そのタブーが〈汚い言葉〉とされる数々の言葉を生み出します。そういう意味では、汚い言葉と罵倒語は普遍的なものだと言えます。それでも、ある言語の汚い言葉と罵倒語を別の言語の同じ言葉でそのまま置き換えることはできません。汚い言葉と罵倒語の力はそれぞれの文化でちがっていて、別の言語のそうした言葉の威力はなかなか理解できません。だから別の言語に置き換えなければならないときは、トラブルを避けるためにやんわりとした内容にするしかないのです。

デウォエル教授の研究対象のひとりの、ドイツ語とイタリア語のバイリンガルのサンドラはこう語っています。「イタリア語の汚い言葉はキリスト教絡みのものばかりです。神さまとかマリアさまとかです。でもドイツ語ではそんな意味のことを言われても不愉快に感じることはないです。反対にドイツでは、相手を侮辱するときは動物の名前を使います。イタリアじゃ動物の名前なんか言ったって効き目はありませんけど」

『たしかにことばを教えてくれたな、おかげで悪口の言いかたは覚えたぜ』

汚い言葉は学校で学んだりはしませんー学びの場は書物や映画やテレビ、インターネット、そして友だちづきあいです。『The Complete Merde: The Real French You Were Never Taught at School(Merde! 完全マスターブック―――学校では絶対に教えない本当のフランス語)』というガイドブックすらあります。〈ジェネビーブ〉というペンネームの著者が書いたこの本は、フランス語を第二言語として話す人たちのために汚い言葉や罵倒語、スラングを英語訳したものです。”je m'en fous (クソほども気にしない)”とか”Il m'emmerde(クソいまいましい野郎だ)”といったフレーズも載っています。

汚い言葉や罵倒語を翻訳する難しさ

外国語を習得する最善の方法のひとつに、その国の文化にどっぷりと浸かることが挙げられます。

では、ある文化のものを別の文化に置き換えなければならないときはどうでしょうか?あるグループに仲間入りする微を教えてくれる、文化の魔力とも言うべき汚い言葉や罵倒語を、文化が異なる人たちが使えるようにつくりなおすとどうなるのでしょうか? ここが翻訳者の腕の見せどころです。直訳できる言葉もあるにはあります。たとえば〈shit(クソッ!)〉はフランス語なら〈merde〉ドイツ語なら〈scheiße〉スペイン語なら〈mierda〉にそのまま置き換えることはできますが、その”意味合い”が同じだとはかぎりません。言葉の不快度、使用頻度、そして使うことが許されるシチュエーションなどは、その土地土地でさまざまに異なるのですから。

フェルナンデス・ドバオ教授は、英語は少ない汚い言葉や罵倒語をやり繰りしてバラエティ豊かに表現する一方、スペイン語は言葉のほうがバラエティ豊かだと語ります。『パルプ・フィクション』で一分間に一・七四回出てくる〈fuck〉を全部〈joder〉に置き換えてしまったら、単調になってしまうばかりでなく意味がわからなくなってしまうでしょう。この映画の台詞の感情に訴える力を英語と同じレベルにするべく、スペイン語の翻訳者たちはありとあらゆる汚い言葉や罵倒語を動員して使わざるを得なかったのです。

まとめ

冒頭で言いましたが、わたしは汚い言葉や罵倒語をもっともっと使うように勧めるためにこの本を書いたわけではありません。汚い言葉や罵倒語は、言ってみればマスタードみたいなものです。 調味料としてはすごく役に立ちますが、マスタードだけ口にしても辛くて食べられたものではありません。わたしたちには、感情に訴えかける力があって、ちょっと危険なにおいのする、まさしくマスタードのような言葉が必要なのです。それがなかったら罵倒したり毒づいたりできないのですから……時代や価値観が変化して、そうした言葉が力を失ってしまったら、わたしたちは別の言葉を見つけてきて”口にするのもはばかられる言葉”にしてしまうのです。 残念ながら、汚い言葉や罵倒語がどうやって生まれたのかを知ることはできないでしょう。それでも、そうした言葉が力を失ったと見るや、わたしたちはすぐさま別の言葉をその後釜に据えることはわかっています。どうやって生み出されたかはわからないにせよ、わたしたちには汚い言葉や罵倒語が必要なのです。そんな言葉を発明したご先祖様に、わたしはものすごく感謝しています。

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訳者あとがき

本書はエマ・バーンの書籍デビュー作『Swearing Is Good For You: The Amazing Science of Bad Language』の訳です。世界の各言語に存在する、罵倒語を代表とする”口にするのもはばかれる言葉”について、言語学・神経科学・文化論など複数の視点から、真面目に、ときにはユーモアを交えながら論じています。罵倒語を発することで痛みが緩和され、痛みへの耐久度が増すという実験や、脳内では一般的な言語とちがう部位で処理されるという話、チンパンジーも人間の罵倒語を習得するという話などは知的・科学的好奇心をくすぐるものがあります。文化面からの切り口での、女性が罵倒語を発することがタブー視されるようになったのはそんなに古くないという話については、現代を生きるわたしたちは深く考えざるを得ません。

本文中にもあるとおり、こうした言葉の翻訳は本当に難しいのです。とくに日本語は他の言語と比べて罵倒語のレパートリーに乏しく、言うにしても遠まわしな表現が好まれます。もし本書を読んで、言葉に迫力がない、おとなしすぎると思われたのなら、それはひとえに訳者であるわたしの責任です。上品に生まれついたわが身が恨めしいです……

原注

悪態の科学 : あなたはなぜ口にしてしまうのか | NDLサーチ | 国立国会図書館

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